理想的な人的資本のもとで、働く人は、各自の固有の専門性を形成し、仲間との間で異なる専門性を相互補完して、顧客の利益の視点において、自然に協働するのです。
資本主義の勃興期において、最先進国の英国の企業の屋号には、創業者の名前の後ろにアンド・カンパニー(and Company)と続くものがありました。カンパニーは、企業を意味する以前に、仲間のことですから、こうした企業は、名が体を現していて、経営者と、その仲間達が寄り合って、創業されたわけです。この仲間としての企業は、重要な現代的意味をもつと思われるので、今、ここで、企業の一つのあり方として、復興させてみます。
まず、仲間としての企業において、仲間として働く人は、経営者のもとに自発的に集うのであって、これは、オーケストラにおいて、楽器奏者が指揮者のもとに集うのと同じです。経営者は、寄り集った人のうちから、仲間を選別しますが、それは、指揮者が楽器奏者を選ぶのと同じ意味における選別です。そして、指揮者が楽器奏者を雇うのではないのと同様に、経営者は、仲間を雇うのではなく、仲間の一人として、共に働くのです。
経営者は、指導者として、仲間のうちの特別な人ではありませんか。
経営者は指導者ですが、指導者としての経営者が先にあって、仲間を雇うのではなく、仲間が先にあって、そのなかから指導者が選ばれるのです。つまり、経営者は、仲間から、指導者に相応しい人格と能力を備えているものとして、評価されているからこそ、指導者なのです。このことは、オーケストラの指揮者は、楽器奏者から音楽家として尊敬されているからこそ、指揮者であり得るのと同じです。
さて、オーケストラの指揮者は、指揮者とはいわれますが、楽器奏者に命令し、その行動を統制してはいません。そもそも、楽器奏者は自律的に演奏する完全に独立した音楽家ですから、そこに指揮者の指導監督が及ぶはずもないのです。指揮者は、独自の楽曲解釈のもとに、楽器奏者の調和的統一を実現しようとしているだけで、それが実際に実現するのは、楽器奏者が指揮者の楽曲解釈に共感しているからです。
同様に、経営者は、仲間を支配し、仲間に命令して、経営の企図を実現するのではありません。経営者は、経営の企図を構想し、それを仲間に提示し、仲間の共感を引き出し、仲間の能動的な企図への参画を促すことで、経営の企図が実現されるように、仲間を仕向けるのです。
共に働く仲間は、楽器奏者が異なる楽器の専門家であるように、異なる専門性をもつのでしょうか。
オーケストラに命令系統が存在しないのは、全員が異なる領域における専門家であって、専門家は、自分の責任範囲においては、自律的に演奏する能力を備えていて、演題の楽曲が演奏を統制するからです。指揮者は、そうした専門家の一人として、独自の解釈により、楽曲の統制に個性を付加するだけです。
同様に、仲間としての企業においても、働く仲間は、商品の製造と販売、原材料の調達、資金の調達、経理などの企業の各機能について、それぞれ異なる専門性をもち、自分の責任範囲においては、自律的に行動します。経営者のもつ専門性は、いうまでもなく、事業戦略の立案であって、その戦略が仲間によって共有されている限り、仲間が自律的に行動しても、全体統制は保たれるのです。
楽器奏者は単独でも活動できますが、企業内の専門家は単独では活動できないので、経営者のもとに集うのでしょうか。
病院には、専門医が集っていますが、それは、内科医は患部を発見できても、それを切除できず、外科医は患部を切除できても、それを発見できないからです。つまり、患者を救うという動機から、内科医は、自分の弱点を補完するために、外科医を求め、同様に、外科医は内科医を求めるが故に、共通の院長を戴いて、病院を構成しているのであって、院長は、両者を媒介するものとしてのみ、意味をもつのです。
同様に、企業の事業は顧客の利益の視点で構成されているわけですが、企業内の専門家は、単独では顧客に対する付加価値を創造できないので、経営者のもとに集って、専門性を相互補完するために、会社を作るのです。ここで、経営者の役割は、顧客の利益の視点で、専門家の活動を合理的に編成して、事業活動に統一を与えることになるのです。
要は、仲間としての企業は、専門家の協働の仕組みなのであって、ここでは、各自が自律的に行動するなかで、自然な協働が成立しています。協働が自然に行われるのは、事業戦略が共有されていて、各自が自分の弱みを他の仲間の強みで補完しようとするからです。これは、まさしく、オーケストラにおける楽器奏者の協働と同じなのです。
協働が分業に変化したとき、仲間としての企業は終わるわけですか。
自然な協働が成立する限り、企業には、命令系統は必要ではなく、故に組織も不要です。企業に組織が発生するのは、事業規模の拡大に伴い、業務量が増えることから、各機能において、専門家が補助者を雇うからです。各機能の専門家は、自分の配下の補助者に対して、業務を指示するので、そこに命令系統ができ、命令系統に応じて補助者が階層的に配置されることで、組織ができ、組織ができれば、そこに分業が発生するのです。
こうなっても、仲間としての企業は、各組織を統括する専門家の協働として、成立し得ます。しかし、専門家の行動の自律性は、組織を管理する煩雑さによって、大きな制約を受けることになり、ついに倒錯が生じます。つまり、組織の頂点にある専門家は、組織を支配しているはずなのに、逆に、組織に支配されるようになるのです。そして、各機能の組織が統一化されていって、経営者を頂点とするものに統合されれば、仲間としての企業は消滅し、組織としての企業が成立するわけです。
組織としての企業が確立すれば、その弊害も生じるので、人的資本が重視されるようになったのでしょうか。
人的資本とは、働き方に関する諸制度、組織に備わった風土や文化、知名度等の社会的評価などで構成される目に見えない働く環境のことであって、企業は、働く人の多様性を許容して、多様な働く環境を提供することで、より幅広く、働く人を引き寄せ、引き留めて、働く人のもつ可能性を最大限に引き出そうとするのです。
人的資本は、組織としての企業に生じやすい弊害について、改善を図るものだと考えられます。第一の論点は、働く人に組織規律を強制することは、生産性を高めるとは限らないという反省です。そこで、企業は、楽しく幸福を感じて働くときに、人は最も高い生産性を発揮するとの前提のもとで、働く人の視点に立って、人的資本としての働きやすい環境を提供するわけです。
第二の論点は、組織規律のもとでは、新たなものを生む革新は生まれ得ないという経験です。そこで、企業は、自由に働くときに、人は真に創造的な働きをするとの前提のもとで、働く人に対して、自律的な行動を求め、更には、能動的な提案や新たな試みへの挑戦を促すために、人的資本としての様々な制度を導入するのです。
人的資本による環境としての企業には、仲間としての企業に通じるものがあるでしょうか。
組織としての企業においては、企業が人を雇うわけですが、人的資本においては、働く人を選ぶ以前に、逆に、働く人から選ばれる企業になることが志向されている点で、また、働く人について、組織への従属的な行動ではなく、自律的な行動が促されている点でも、思想的には、仲間としての企業への回帰がみられます。
しかし、仲間としての企業を性格付ける決定的な点は、働く仲間の各自がもつ専門性と、その専門性の補完的協働だったわけです。そこで、仲間としての企業は、人的資本について、重要な示唆を与えることになります。つまり、人的資本とは、組織としての企業が働く人から奪ってしまった専門性の復興なのだということです。
そして、ここで重要なのは、専門性は、組織内の分業として、企業が定義し、働く人に与えた職務ではなく、働く人自身の選択によって、働く人自身が形成するものだということです。人的資本が目指すべき理想は、働く人の多様な専門性が共振して、顧客の利益の視点において、相互補完的な協働が実現されることなのです。
・自分のために働くと顧客本位になる(2020.8.20掲載)
働く人の自主自律を重んじ、多様な働き方を認め、それを顧客との共通価値の創造に包摂することで、顧客本位に基づく経営が実現します。
・企業の人的資本投資と働く人自身の人的資本投資(2025.1.16掲載)
始めから自律的に働き始める人は稀です。普通の人は、企業からの期待のもとで働き始めることで、自分の能力を把握して、自律的に働けるようになります。企業は働く環境への投資によって、働く人の期待以上の貢献を引き出す必要があります。
・会社員である前に人であり街の住人であり子である(2020.12.24掲載)
真の顧客本位に基づく経営とは、働く人が顧客基盤というコミュニティに帰属意識をもち、自律的に活動することであり、企業は顧客基盤というコミュニティへの帰属意識を高めるよう働きかける必要があります。
(文責:城)
次回更新は、4月3日(木)になります。
ご登録いただきますとfromHCの更新情報がメールで受け取れます。 ≫メールニュース登録

森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。